2019-05-22 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号
○馳委員 この問題の一つの要因を、皆さんも高校受験を経験しておられますから、そのときの進路指導で、恐らく覚えておられると思いますが、いわゆるでもしか普通科、偏差値輪切りの中学校の進路指導がこの背景にあると断言しても私は過言ではないと思っています。
○馳委員 この問題の一つの要因を、皆さんも高校受験を経験しておられますから、そのときの進路指導で、恐らく覚えておられると思いますが、いわゆるでもしか普通科、偏差値輪切りの中学校の進路指導がこの背景にあると断言しても私は過言ではないと思っています。
また、中学校におきましても、いわゆる偏差値輪切りの進路指導ということで、偏差値の順番に学校を割り振っていく、下の方の子供たちは職業高校に行くと、このような実態もございました。こういったことに対して、これを変えていかなければならないということで、臨時教育審議会以降、私どもも高等学校の制度を多様化するための取組は続けてきておるところでございます。
ただ、先生、これは一緒に考えていただきたい点があるんですが、ちょっとだけ先ほどの先生の御注意に反しますけれども、私は、共通一次試験というのは余りいいものだと思わなかったんですが、ちょうど文部大臣になりましたときに大学入試センター試験とか何か名前が変わって、これは相変わらず偏差値輪切りの原因にはなってるけど、でも案外いい試験だという評価もあるんですが、このセンター試験、これは受験者の数、問題にならないぐらい
能力主義の導入で人間の偏差値輪切り、スライス輪切りとまで言われる状況が生まれ、人間のランキングづけがされ、高校間格差が広がったと私は思っています。 十五の春は子供たちにとって、一部の子供は歓声を上げる季節かもしれませんけれども、涙の季節となっている子供たちも多いのです。心の傷が深まる季節でもあると思います。
一見、入試全廃ということになって、あたかもとてもすばらしいことのように言われますけれども、私はやはり先ほど申し上げましたような幾つかの理由から、その子供の能力・適性、興味・関心、進路希望、多様化した能力に、その希望に応じて希望が満たされるような学校が現実に十分取りそろえられているかというと、それが単純な偏差値輪切りというだけの特色になっちゃっているのが問題であって、もっと高校自体の特色をつくっていき
ただ問題点は、その本人の希望とかあるいは学校の特色を全く無視して偏差値で、こういう普通科の学校があり、工業があったり商業があったり農業があったりしてまた普通科があってとか、しばしばよくいろいろな県で見られるような実情が、ただ単に本人の希望とか学校の特色を無視した形で偏差値輪切り的入学選抜になっているところが一番の問題点なんだろうと、私はこう思っております。
つまり、自分はもうだめな人間だ、いわゆる偏差値輪切りの競争から脱落して、だれもが行く高校にすら行けず、もう自分はろくなことはないんだというふうに、貝のように閉じてしまっている若者たちが物すごく多いのですね。
センター試験は、一つの物差しで人間をはかろうとするものだから、共通の物差しで人間をみんな、いわば偏差値輪切りと同じだ、分けようとするものであるから、このセンター試験は即廃止すべきだと思いますが、総理大臣、いかがでしょう。
今の子供たちが偏差値、輪切りの中でもがき苦しんでいるという事態に置かれていることは御承知と思います。過酷な受験競争の中でいらいらが募り、だれ構わずいじめる、またいじめることによりストレスを解消する、こうしたことがいじめの要因となっていることが指摘をされています。 今、子供たちのことをどう思うかという点で、過酷な受験戦争から子供たちを解放するということも大事なことではないかと思います。
その二ないし三%のために高校へ入れないのではないかという不安が与えられまして、また高等学校を偏差値、輪切りのランクづけをきっちりと行って、いたずらに受験競争をあおっているのが現実ではないかというふうに思います。 今後の中学校卒業者の推移をどう見ているのか。例えば二〇〇一年には現在の数の何%ぐらいになるか、お答えいただきたいのです。
特に、最近におきましては、そういう高等学校への進学につきましては、従来の業者テストに依存した偏差値輪切りによる進学指導ということを全廃いたしまして、本人の能力、適性あるいは興味、関心、進路希望等に応じた適正な進路指導をもあわせて実施をしているところでございます。
しかし、A、B、C、D、Eというそれぞれの大学が行う入学試験では、どっちがどっちより難しいということは判定しかねる、それぞれが余りに個性的だから比較できないというような形になることが理想であったものが、センター試験の点数による偏差値輪切りというような現象が、情報化社会の進展に伴ってそういう傾向が顕著になってきてしまっていることが大変残念でございまして、さらに一層の私どもも研究や検討が必要であると問題点
他面、振り返ってみれば四万八千人の不登校、登校拒否の問題とか、あるいは十二万三千人の高校中退とか、あるいは偏差値輪切り、学歴偏重という中での厳しい大学入試、あるいは苦しんでいる子供たちの姿とかそういうのを考えますと、何か余りに全国一律過ぎるというさまざまな事柄の弊害が出てきて、子供を苦しめているという面もゼロではないというふうに感じます。
せっかく個性ある高校教育がなされていたとしても、それが偏差値輪切りで共通の物差してまた序列をつけられていくということになると、せっかくの個性ある高校教育が大学進学を機にまた失われていくということにもなりかねません。
そもそも偏差値輪切りというのが、同じ一つの物差しで、目盛りがついておって全部はかれるような形だからいけないのだろうというふうにも考えます。ですから、大学設置基準も大綱化、柔軟化をしてうんと個性ある大学をつくってもらう。
入試ということになりますと、これが日本人のいわゆる銘柄志向というのでしょうか、学歴偏重、偏差値輪切り、こういうことで、有名大学を出ているから優秀なので企業へ入っても出世できる。そうすると、世の中の親御さんはみんな、受験地獄解消とは言いながら、実際には総論賛成、各論反対になって、自分の子供だけは少してもいい有名な大学へということで、結局は受験戦争の激化というものは上からおりてくる。
そこには当然社会の姿というのが色濃くにじんでおるわけで、いわゆる偏差値輪切り、それは学歴社会である、学歴でいいものが手に入らないと結局世の中で出世できないうまく生きていけない、そういう親の希望がある、自分はそれにこたえることができない、それではもう学校へ行くのが嫌だとか、そういうようないろいろな難しい問題が学校の外に待ち受けておって、子供の悲痛な叫びとかあるいは大きな悩みの源になっているように思えてならないことがございます
アラカルト方式も採用していいですよということで大学入試センター試験になって、そして私学の利用もふえてきているのも確かでございますのでも、じゃ未来永劫このセンター試験はこのままでいいかといえば、私は決してそうは思わないわけでございまして、まあ分離分割だ、AB日程だ、連続方式だ、分離分割だといろいろな工夫をやって、国立大学の間でも努力はしてきているわけでございましょうけれども、まだまだ偏差値偏重あるいは偏差値輪切り
そのハードル論なんですけれども、一点を争う入試加算制度がいけない、つまり偏差値輪切りがそこからくるので、ですから一点ではなくてハードルで一つずつ越えていった場合、私はこういう言い方なんですが、細かいのは別といたしまして、そのときに人格評価というのに社会奉仕という項目を持った方がいい。それは人物評価になる。
例えば偏差値輪切りの問題を大学教育、高等教育の中でどう解消していくかということもありますし、十八歳年齢人口急減に伴う大学の再編をどうするかという問題もあります。また、実質的な面では大学イコール・レジャーランド化というような、かぎ括弧つきでありますが、批判もあります。
例えば先生も御指摘になりましたけれども、受験競争の問題、特に受験過熱の中での子供たちの状況の問題、さらには学校に対する不適応と申しますか、落ちこぼれとおっしゃいましたけれども、学校の授業についていけない子供たち、ないしはなじめない子供たち、不適応を起こしている子供たちの問題、さらには偏差値輪切りと言われますような非常に画一化した、硬直化したような教育の状況の問題等、いろいろ確かにございます。
今は、やはり子供たちが退廃文化の中に囲まれて一人一人が精神的にも非常に飢えておりますし、さらに偏差値輪切りの新幹線授業の中で落ちこぼされて、いろいろな意味で子供たちが非常に孤立した状態に置かれている。そういう中で、先生たちの目が行き届かなければ必ず子供たちの中に非常に大きな精神的な負担がありまして、今登校拒否とか、そして高校中退とかというのが非常にふえているというふうに思います。
最大の問題点は、共通一次による偏差値輪切りの解消であります。これまで入試方法は猫の目のように変わりました。しかし、どこを見ても一点を争うテストであることに変わりがありません。したがって、偏差値輪切りに変わりがないのであります。
しかし、明らかにすれば大学の偏差値、輪切りがますます進むといったって、もう十分進み過ぎるぐらい進んでいるわけで、そんなことよりもむしろそれぞれの個人に明らかにしていくことの方がいいんじゃないかという気はしますね。
現在、教育の荒廃ということが言われておりまして、登校拒否、偏差値輪切りとか陰湿ないじめ、そういうものが教育の荒廃ということなんでしょう。その教育の荒廃というものが、何かしら私たちの印象では、その原因はある種の教育集団にあるんじゃないか。はっきり申し上げると、日教組というそういう組合が何かそれに関係があるのじゃないかというふうに思っている人がいるんじゃないかと思うんです。